挑戦をする。とりあえずやってみる。
という記事を先日書いた。
嬉しいことにコメントをくれた方がいた。
「なんでもチャレンジという言葉はいいですね。
僕も挑戦しています。
一緒に頑張りましょう。」
自分の記事に感想をくれて、ともに頑張ろうといってくれる。
スターをくれる。
ブックマークをしてくれる。
これも確かにとても嬉しい。
タダ、コメントとして発言して伝えてくれるのはさらに嬉しい。
素直にありがとう。
さあ、そこで挑戦するということの意味をさらに考えてみて、思ったことを書いていこう。
ちなみに、こちらが前回の挑戦の記事です。
興味があったら見てみてね♪
なぜ人は挑戦するのだろうか。
挑戦して得るものは何だろうか。
それは、上の記事でも書いた。
そして、逆に、何かを得るためにはどうすればいいのか。
それは体験すること。
何事も経験。
それは、下の記事で書いた。
この2つの記事を読み直して、思った。
いかに、挑戦、体験することが大切か。。。
あなたのスタート地点。
人の原点を考えてみる。
つまり、産まれてすぐのあなた。
なにができただろうか。
当然、話すことも出来なければ、歩くことも出来ない。
じゃあ、なぜ、今、あなたは、普通に言葉を話して、歩くという日常を過ごせるのだろうか。。。
それは、きっと今まで体験してきたことによって、言葉を話せるし、歩ける。
つまり、なにが言いたいか。
体験という挑戦。をしたから、あなたの今がある。
歩くことなんて、自然とできるようになるだろう。
誰だって、成長と共に歩けるようになるだろう。
それは違う。
人は体験せずにできることはない。
彼は五体不満足の状態で産まれてきた。
しかし、その、不自由さを感じさせないほど、やりたいことをやっている。
んでだ、知っている人は知っていると思うけど、クラウドファンディングを利用して
「義足プロジェクト」というものをやっている。
これだ。
乙武さんに、特注の義足を作り、足がなくても歩けるようになるんだぞ。という応援プロジェクトだ。
たくさんのことを達成してきた乙武さん。
本を書きたいと思ったら本を書く。
先生をやりたいと思ったら先生になる。
議員になりたいと思ったら議員になる。
しかし。このプロジェクトをするまで、歩くという体験をしてきたことがない乙武さんには、我々が日常的にする動作、歩くということができなかった。
現在は、少しずつ歩くことに挑戦していき、少しだが歩くことができるようになっているらしい。
このことを踏まえて何を言いたいのか。
体験したことのないことはできない。
ということ。
体験しないことには、できるようにならない。
ということ。
どうだろう。いかに挑戦することが大切かわかっただろうか?
海外に留学をしたい、海外で働きたいと思っているあなたへ。
それは、語学の勉強でも同じことが言える。
今まで、英語、もしくは他の言語を話すという体験をしてこなかったのに、いきなり海外へ行き話せるわけないだろう。
しかし、勘違いをしている人が多い。
今は、英語の授業が義務化されてきていることもあり、英語での読み書きの勉強を体験している人は多いだろう。
私は、英語は得意だ。
英語のテストは100点ばかりだ。
さらにはTOEICの点数もかなり高い。
私は英語ができる。
そう勘違いする。
しかし、読み書きができるのと、話す聞くができるのは、また別の話。
当然、話す聞くという体験をしなければいけない。
何度も何度も挑戦し体験しなければ何事もできるようにはならない。
そんなわけない!!私ならできる!!私なら話せる!!
そう思うなら、海外にでて挑戦、体験してみるといい。
体験しないとわからない。
体験して成長すればいい。
よし、ここまで。
まとめ。。。
〇〇ができるようになりたい。
そう思っているのなら、やってみよう。
やらない限り、得られるものはない。
先ほども上で言ったが、
体験するという挑戦。
何事も体験しよう。
何事も挑戦しよう。
でわ。